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スレイメノフ・ユネスコ大使,会議参加者と (前列右側が星幹事)
このたびカザフスタン・ユネスコ大使のスレイメノフ氏の招待により,アルマティ市のアメジスト・ビジネスセンターのホールで2005年5月19日に開催された国際会議に参加しました。会議のタイトルは,『反核運動団体:成果と展望(Anti-nuclear community: achievements and perspectives)』で核のない世界の実現のための会議です。参加者は約150名でした。
会議ではまず,スレイメノフ・ユネスコ大使,アブドガリモフ国務長官,ドスジャン文化スポーツ省副大臣が壇上で挨拶を行いました。スレイメノフ氏はネバダ・セミパラチンスク運動の歴史を話しました。アブドガリモフ氏はカザフスタン政府を代表して参加しており,「カザフスタンとして,この意義深い『Nevada-Semey』運動を支援する。核に反対する運動が世界に広まることを期待する」,と述べました。来年は,首都アスタナで国際会議を開催するとの表明もありました。
この国際会議は,
カザフスタンが核を放棄して10周年,
広島・長崎の原爆投下から60周年,
カザフスタンでの最後の核実験から15周年,
核に反対する運動団体“ネバダ・セミパラチンスク”の誕生から16周年,
であることを受けて開催されたものです。
国際会議の目的は,地球レベルの安全の危機,核の不拡散のための方策,世界での核に反対する運動の再活性化,核の犠牲者への国連レベルの支援基金の創設,被曝者への医学的,社会学的,環境学的な回復地域の設定や,会議のアピールの採択,などです。
今回,国際会議が開催されるにあたり,スレイメノフ大使から招待を受け,私がHICAREを代表して出席することになりました。日本からは,セミパラチンスクの被曝者支援を行っているNGOのヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト名誉会長の平岡敬氏(前広島市長),セミパラチンスクから高校生の留学生を継続して受け入れている山陽女学園中等部・高等部校長の石田孝樹氏も参加しました。在カザフスタン日本国大使館一等書記官の大竹健司氏も出席し,挨拶を行いました。角崎利夫大使は当時東京に帰国していて,出席できなかったとのことでした。
スレイメノフ大使ほかの挨拶後,始めにHICAREの立場で,私が最初に発表を行いました。発表者の順番は次のとおりです。
午前中は,星正治(HICARE),ヤキーメフ氏,ビガンビエフ氏(カザフ国立大),ニコフスカヤ氏(ネバダ・セミパラチンスク運動モスクワ支部長),アブディカリモフ氏,カルトエフ氏,バカエフ氏(軍人,大佐),ハミエフ(ネバダ・セミパラチンスク運動カラガンダ支部長),ドストフ氏,平岡敬氏の順でした。午後は,ドスカバ氏(線量評価),石田考樹氏そのほか多数の発表があり,発表者は合計17名でした。
私はHICAREの設立の経緯や役割などの紹介,平岡氏は核の問題について訴え,石田氏は山陽女子学園のセミパラチンスクとの関わり,留学生の受け入れなどを紹介しました。
最後に広島・長崎の原水禁大会への訴え,世界の核に反対する団体への訴え,など4つの決議を採択しました。カザフスタン政府は,「Nevada-Semey」運動を今後とも支援することを決めました。近い時期に,政府として,職員や事務所も確保するとのことでした。
今回の会議にはカザフスタン内はもとより,モスクワにある「Nevada-Semey」の支部など多数の代表者が参加していました。
興味ある問題として,セミパラチンスクからロシアのオムスク州へ700人も移住しており,この人たちに対してロシアからの支援を得ることができるよう要求していきたい,という報告がありました。
陸軍大佐ボカエフ・アルケル・クスマビッチは,「カザフスタンは核放棄という一番正しい道を選んだ。核管理は難しい,核物質の輸出も規制が必要だ」と強調しました。
反核運動家と環境運動家との立場の違いが表面化する場面もありました。
タジキスタンからの参加者はウラン鉱山の問題や廃棄物などによる健康影響を指摘していました。ロシアで放射性の廃棄物を埋めたところに洪水があったとのことで,情報公開の必要性を訴えました。
その後音楽大学に移動し,そこでドンブラ演奏やパリ在住日本人の李早恵(リー・サエ)さんのピアノリサイタルがあり,すばらしい演奏に会議参加者ほか皆さん喜んでいました。