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韓国にHICARE幹事等を派遣

在韓被爆者医療に携わる医師等に対する効果的な研修の実施に関する協議を行うとともに,韓国の被爆者医療・緊急被曝医療拠点とのネットワークを強化することを目的として,幹事等を韓国に派遣しました。

期 間:

平成21(2009)年2月2日~2月6日

構成員:

氏  名役       職
有田 健一医師・広島赤十字・原爆病院呼吸器科部長,HICARE幹事
浦島 正喜医師・広島市民病院放射線科主任部長
籠島 政江看護師,広島赤十字・原爆病院看護副部長
船岡 徹広島市健康福祉局原爆被害対策部調査課主査,HICARE書記
望月 秋広島県健康福祉局被爆者対策課専門員,HICARE書記

訪問先:

月  日 派  遣  先所 在 地
2月2日(月)KIRAMS(韓国原子力医学院)ソウル市
2月3日(火)大韓赤十字社
ソウル赤十字病院
ソウル市
2月4日(水)陜川高麗病院陜川郡
2月5日(木)嶺南大学病院
釜山病院
大邱市
釜山市
2月6日(金)帰 国

KIRAMS訪問(2月2日)

広島から約1時間40分の旅で1200万都市ソウルに到着した。東京と同じくらいのスモッグで覆われた空の下,我々,一行6名を載せた貸切マイクロバスは,とても高速道路とは言えない悪路を,とんでもないスピードと車線変更で原子力医学院・緊急被曝者医療センター(KIRAMS)へと向かった。ウォンへの換金などで手間取り,当初,遅刻が予想されたが,予定通りの時間に到着できたのは運転手さんを褒めるべきか。
 KIRAMSでは,KIM Chong-Soon院長先生の出迎えを受けた後,引き続いてPARK Kyung-Duk先生,CHOI Chang-Woon先生,KIM Byung-Il先生らと,今後のHICAREとKIRAMSの交流のあり方について協議がなされた。その結果,現在の交流の仕方を維持してゆくことで両者の合意が得られた。
 KIRAMSで印象に残った事は,緊急被ばく時の除染設備の充実や除染設備に隣接して専用手術室が備わっていたことだ。今年,1月14日,私は広島市民病院で広島大学の神谷教授や谷川教授のご指導された除染訓練に参加した。除染設備の不十分さや医療関係者の緊急被ばく汚染に関する意識が低いことを学んだばかりであったので,なおさらKIRAMSの設備の充実さに驚いた。

 緊急被ばく医療では,各関係機関同士のネットワークの構築を含めて,韓国に見習う点は非常に多いと感じた。その意味でもHICAREの存在意義は大きく,その役目も重要であると考えざるをえなかった。

(浦島正喜)

中央,白衣姿がKim,Chon-Soon院長 左端が担当のPark Chang-Youn氏

緊急被曝医療センター内の除染設備

大韓赤十字社訪問(2月3日)

高い丘の中腹に大韓赤十字社はある。HICAREにおける医師受け入れ事業の窓口の一つで,その意味で今日の日程は重要なのである。
 入口を入るとすぐ右手に,日本語で書かれた「ようこそ」の立て札が用意されていた。その奥にはランの花に囲まれて何枚かの写真が掲げられており,中には李明博韓国大統領の笑顔も見えた。大韓赤十字社と韓国政府の強い結びつきを感じながら,崔元鎔(CHOI Won-Youg)本部長の先導で,5階にある事務総長室に金榮喆(KIM Young-Chel)氏を訪ねた。温容な風貌の,団員一同を包み込むようなおおらかさのある人だった。握手した手が大きくて,暖かい人だった。訪韓の主目的の一つである金尚裕(KIM Sang-You)福祉事業課長との会談を控えた僕たちの緊張感が,和らいだ表敬行事であった。「医師を中心とする研修から,もう少し職種を広げた研修にしてもいいのでは・・・」という金事務総長の言葉を聴いた後に,場所を大韓赤十字社資料室に移して,金課長との会談は始まった。
 お互いの立場を認識した友好的な雰囲気の会談で,今年度の事業計画がそこで固まり,今後のHICAREにおける医療者研修の方向性も確認されたのである。韓国からの医師の派遣に関連する問題点を聞かせてもらう一方で,HICAREでの受け入れ可能な看護師などの医療職と受け入れる際に課題のある事務職との違いを理解してもらったつもりである。崔本部長,金課長,そして福祉事業部の呉尚恩(OH Sang-Eun)さんなど多くの職員と昼食で食べた「カルビタン」は,会談の成果と床暖房のおかげで,僕たち団員を体の内から元気づけてくれた。

(有田健一)

左から,金尚裕福祉事業課長, 崔元鎔本部長, 金榮喆事務総長,

有田団長,浦島副団長, 籠島団員,船岡団員,望月団員

ソウル赤十字病院訪問(2月3日)

午後からは呉尚恩さんの案内でソウル赤十字病院を訪問し,金(KIM, Han-Sun)院長や徐相烈(SUH, Sang-Yeol)副院長と面談した。
 金院長からはHICAREの1週間の短期研修だけでなく,医師対象の1ヶ月研修あるいは看護師を対象とした2週間研修も検討したいとの前向きな表明があり,訪問した甲斐があったと感じた次第である。その後,HICAREでの研修経験者である金美珠(KIM, Mi-Joo)看護課長の案内で病院内を見学した。ホームレスの男性を対象とした7階の特別病室は,8人部屋に5人が入院し,2人の介護人が彼らを世話していた。社会の底辺にいる人々に対する積極的な医療を見せてくれた意味で印象的であった。明洞の街角での夕食時にも,この病室の存在とそこに収容された患者たちのことが僕たちの話題となった。

(有田健一)

左から,JEON, Jeong-Hee総務課係長, KIM, Han-Sun病院長, 呉尚恩氏(大韓赤十字社),

SUH, Sang-Yeol副院長, KANG, Ho-Kwon管理部長

陜川高麗病院訪問(2月4日)

8時25分にホテルを出発し,ソウル駅へ。ソウル駅舎は2004年1月に新装されたガラス張りの空港のような外観だ。KTX(韓国版新幹線)に乗車し,1時間40分で,東大邱(テグ)駅に到着した。
 東大邱駅から西へバスで1時間30分。陝川(ハプチョン)高麗病院は,地域の医療を引き受ける中心的な医療施設である。李 在哲院長がご自身の資財を投入した医療施設であるとの説明を受けた。外来診療部門は,「愛」をテーマとしてカラフルな韓国カラーを多用した内装が患者さんや家族を癒す雰囲気を作っていた。診療部門も診察室内,新たに導入したCT撮影室内も壁面に日本の病院では想像できない韓国独特の図柄を配して,患者さんや医療者の癒しにも貢献している様子がうかがえた。
 被爆者も多数,来院するとのことだったが,主として整形外科疾患,眼科疾患が多いという説明であった。病院玄関に垂れ幕で告知している新規導入したCTを駆使し,救急医療にも貢献しておられるとのことである。
 HICARE事業の概要説明をゆったりと聞いておられた李院長が,途中から「自分が行く」とその気になられたことに一同びっくり。次年度,広島で李先生と再会することになるかもしれない。

(籠島政江)

左から2番目が李在哲院長

嶺南大学病院訪問(2月5日)

2月5日,晴れ。韓国に来て四日目の朝であるが,まだ雨は降らない。というのも私はひどく雨男である。特に慣れない旅行をした時は,必ず雨が降ってきた。結局,韓国滞在5日間,一度も雨は降らないどころか,釜山では小春日和りの様相であった。有田団長は晴れ男だそうで,どうも有田団長効果が絶大であったようである。
 午前9時にホテルを出発し,今回の訪問で最も大きな施設である嶺南大学病院へと向かった。 嶺南大学病院はHICAREにとって4回目の訪問であるにもかかわらず,李斗鎮(LEE Doo-Jin)院長先生,SHIN Dong-Gu副院長先生,金名世(KIM Myung-Se)放射線腫瘍科教授など,大学首脳の出迎えを受けた。KIM Myung-Se先生は,ご自身が平成19年にHICAREの受け入れにより来広された関係もあり,訪問前夜には我々の歓迎会を催して下さった。
 KIM Myung-Se先生は,韓国の放射線腫瘍学の重鎮でもあるが,彼女に附属病院および医学部を案内して頂いた。あまり時間がなかったこともあったが,彼女の足の速さに,全員,ついて行くのが精一杯だった。時間一杯まで我々に沢山の設備を見せたかったのだと思うと共に彼女のパワーに感服した次第である。


〈追記〉
 私は放射線科医なのでHIS-RIS-PACSが韓国でどの様になっているのか,興味を持って韓国を訪問した。嶺南大学病院のような大病院からハプチョンの100床余りの民間病院まで,電子カルテはおろか画像がフィルムレスで運用されていたのには,大変,驚いた。さすがはインターネット大国の韓国である由縁だと思った。日本はまだフィルムレスが運用されている病院は非常に少なく,この点においては韓国よりも大きく遅れをとっていると実感した。
 しかしながら,多くの病院では,病室は8人部屋が基本であり,入院患者は必ず介護人が必要とのことであった。病室に合計16人が寝泊りする光景とナースステーションに並べられた電子カルテの端末のギャップに違和感を覚えたとともに,国民皆保険制度や完全看護などの日本の医療は,医師不足や偏在,国民医療費の増大などの問題を抱えてはいるものの,大変,人に優しい医療なのだと改めて感じざるをえなかった。

(浦島正喜)

中央が李斗鎮(LEE, Doo-Jin)院長

右端がSHIN, Dong-Gu副院長

これまで嶺南大学からHICAREで受入た研修生(白衣着用)と:

前列左から, 張漢元(Jang, Han-Won)氏, 千京娥(Chun, Kyung-Ah)氏, 金名世(Kim, Myung-Se)氏 後列中央:尹尚模(Yun, Sang-Mo)氏, その右:Kim,Young-Woon氏

釜山病院訪問(2月5日)

東大邱駅から再びKTXに乗車。1時間5分で終着の釜山駅に到着。小春日和の中,東萊区の釜山病院玄関で院務チーム長他の皆さんが迎えてくれた。
 院長 金鍾元(KIM Jong-Won)先生を始めとした6名の方々との協議では,施設の在韓原爆被爆者の診療の現況についての説明を受けた。釜山市では被爆者602名が登録されているとのこと。被爆者医療に取り組みたいという意欲を持っておられることがよくわかった。また,今後のHICARE事業への参加も検討していくとの前向きの回答を得られた。また,看護部長張尚淑(JANG Sang-Suk)さんは,平成18年(2006)に短期研修1期生として参加しておられ,研修を通じて「被爆者の心を考えるということを学んだ」と言葉をいただいた。
 その後,施設を案内していただき,中でも放射線診療部門では,団員の浦島医師が診断部門の医師HO Ko-Ji氏と意気投合され,次回のHICARE研修に是非,参加するようにと施設の職員からのエールを送られた。「もう,僕が行くと決まったのか?」と戸惑いつつも,最後はそのつもりになられたようだ。なごやかなムードの中,総務課長,看護部長さんに見送られて釜山病院をあとにした。

(籠島政江)

前列右:金鍾元(Kim, Jong-Won)院長

中列右端:張尚淑(Jung, Sang-Suk)氏

釜山病院をバックに:

有田団長(右),浦島副団長(左)

成 果:

●HICAREが大韓赤十字社の協力を得て実施している短期研修については,大韓赤十字社側から継続実施することへの強い要望があり,研修生の範囲を医療技術,看護師等に拡大していくことや,実施時期等について具体的な協議を行い,相互確認を得ました。

●在韓被爆者を多数診療している病院及び緊急被曝医療の中心的な役割を担う研究機関を訪問し,研修事業について説明しました。短期・長期研修ともに,積極的な研修生派遣の意向が示されました。

●これまでHICARE研修を受講した医師等に面会し,現在の活動状況,研修で役に立った点,研修方法への意見等を聞き取り,今後の研修の改善点が確認できました。

●以上のことを通じて,韓国の被爆者医療拠点とHICAREとの間に強固なネットワークが形成されつつあることが確認され,継続的な連携の必要についての確証を得ました。