セミパラチンスク
9月29日にセミパラチンスク市に到着した。セミパラチンスク市での私たちの活動を支援してくれたのがサガダット先生である。同市内での全ての予定はサガダット先生により立案計画されていた。彼女は日本人と変わらぬ風貌のセミパラチンスク市立診断センターの内科医であるが,彼女の勤務する同診断センターには故高木昌彦先生を記念する「高木記念館」があった。入り口を入ると「ふるさと」の曲が流れ,亡くなった高木先生が使われていた日常品が展示され,先生の写真が整然と並んでいた。先生の写真の上には日本語で「心の触れ合い」と記されていた。先生は定年後この地に住み,奥様が広島での被爆者であったこともあって当地の被爆者調査や医療援助をしながら2002年に客死されたのだが,70歳をすぎてカザフ語に取り組み,カザフスタンの人々から愛され続けたという。カザフスタンの人々に注がれた先生の愛情は深く大きく,そしてそれを受けたこの国の人々の先生に対する愛と慕う気持ちがこの「記念館」という形で残されていた。備え付けられた署名録に一言書きながら,高木先生に対してもカザフスタンの人々に対しても,それぞれの純粋さと優しさ,使命感とそれを受け取る素直さを思い,私は涙を流さずにはおれなかった。
午後,セミパラチンスク市長オマロフ氏を表敬訪問した。市長夫人がHICARE研修生であったこと,広島市長との交流,JICA事業の終了を受けての今後のHICAREの取り組みなど話題は広範囲に及んだ。マスコミも多数駆けつけ,私たちは取材攻勢にあった。
さらに,セミパラチンスク医科大学,セミパラチンスク医科大学病院,セミパラチンスク腫瘍センター,放射線・環境研究所などで,被爆者医療のリーダー的な諸先生に面会し,今後のHICAREに対する要望や期待を聞くことができたのは有益だった。