専門家の派遣

トップページ > 専門家の派遣 > 派遣リスト > 韓国にHICARE幹事等を派遣

韓国にHICARE幹事等を派遣

期間:

平成18(2006)年10月30日~11月3日

構成員:

児玉 和紀 放射線影響研究所主席研究員・疫学部部長,HICARE幹事
桑原 正雄 広島市医師会副会長,HICARE幹事
伊藤 勝陽 広島大学病院放射線部長,HICARE幹事
片山 拓男 広島県被爆者・毒ガス障害者対策室専任主査,HICARE書記
福本 正裕 広島市原爆被害対策部課長補佐,HICARE書記

大韓赤十字社特殊福祉事業所 元所長(左から5番目),同事業所スタッフと

訪問先(訪問日程順):

平成18(2006)年

10月30日 放射線保健研究院(ソウル)
 団員一行は午前8時40分に広島駅新幹線口に集合した後,出発式を行いました。 HICARE片山事務局長の送る言葉に続き,児玉団長から抱負が述べられ,その後テレビならびに新聞の取材を受けた後に広島空港に向いました。広島空港からは11時30分発のアシアナ航空便で仁川空港に向かい,空港到着後は休む間もなく,第一の訪問先であるソウルの放射線保健研究院を訪問しました。 
 
 放射線保健研究院ではKim所長をはじめ,Cho, Jin, Kim, Jeong研究員とただちに会合を持ち,研究所の概要の説明を受けるとともに,Jeong研究員の広島における研修の成果について意見を交換をしました。Jeong研究員からは,広島において習得した放射線リスクに関する解析法が彼女の今の研究に非常に役立っていることが報告され,Kim 所長からも引き続き同様の研修の機会をHICAREから提供して欲しい旨の発言がありました。
 
 また,今後日韓で交互に国際シンポジウムを開催してはどうかとの提案もありました。その後,Kim 研究員の案内で研究所の見学を行い,放射線基礎医学研究から疫学研究まで幅広い研究活動が行われている様子を見て取ることができました。また最近特に力が入れられている緊急被ばく医療体制についても,除染設備を備えた急患室,ホールボディーカウンターや生物学的線量測定装置など,研究所にはいつでも事故に対応できる最新の設備が装備されていました。集合写真までの2時間足らずの訪問でしたが,非常に実り多いものとなりました。
 
(児玉 和紀)

放射線保健研究院 Kim所長(左から4人目)と

10月31日 大韓赤十字社,ソウル赤十字病院(ソウル)
 午前中は大韓赤十字社本社を訪問しました。韓国で赤十字活動が始まって101年目とのこと,本社1Fの記念展示室,祝賀花輪とともに,玄関の“Welcome HICARE”が印象的でした。
 
 張事務総長にお会いし,児玉団長からHICARE活動への深い理解と多大な支援のお礼を述べるとともに来年度の医師等の研修派遣を依頼しました。これに対して,事務総長からは引き続き被爆者支援に全力を尽くすことと研修生派遣の約束をいただきました。続いて実務者である元所長らとの会談に移り,来年度研修において医師を中心とした派遣の依頼を行い,快諾を得ました。
 
 午後からはソウル赤十字病院を訪れ,院長から研修生派遣,被爆者検診について来年度も取り組むことを約束いただきました。
 
(桑原 正雄)

ソウル赤十字病院 Kim Han Sun院長(左から6番目),Kim Mi-Joo看護課長(HICARE研修生)(左から2番目)と

11月1日嶺南大学医療院(大邱)
 9時発釜山行きの「KTX」で大邱へ。ジーゼル機関車による牽引方式で日本の新幹線に比べ狭いものの横揺れは少なく快適。昼食後,嶺南大学医療院を訪問。HICAREにとって3回目の訪問であるにもかかわらず,総務副総長で医療院長(副学長で病院管理者に相当すると思われる)の朴東春先生,医科大学長の金名世先生,病院長のKim O Ryong先生とこれまでHICAREで来広経験のある尹尚模先,千京娥先生方に快く迎えられる。ここでも被爆者の診療およびHICARE受け入れ事業推薦のお礼とあわせて,大韓赤十字と共同で実施する短期研修に医師を派遣してほしいこと,また,1か月の長期研修派遣についても依頼した後,意見交換を行いました。被爆者の高齢化に伴うがんや生活習慣病について,特に腫瘍内科への研修を望むとの強い要望がありました。
 
 ところで医科大学長の金教授は,韓国の放射線腫瘍学の重鎮ですが,彼女に自ら附属病院および医学部を案内していただきました。医学部のスキルスラボ(写真1),カンファランスルーム(写真2),学生の休憩室(写真3),トレーニングルーム(写真4)などを見学。私立大学とはいえ学生の勉学環境への熱心な取り組みに感心。金教授に短期研修の一員として広島に来ることは可能かどうか打診し,スケジュール調整ができれば来広したいとの色よい返事がありました。見学中の様子をCDに落としてホテルまで届けていただきました。(感謝)
 
(伊藤 勝陽)

金医学部長(右から3番目)と医学部前で

11月2日 陜川原爆被害者福祉会館(陜川),釜山医療院(釜山)
 8時に大邱グランドホテルを出発し,車で1時間半でこの日第一の訪問地,陜川原爆被害者福祉會館到着です。
 この施設の訪問目的は,
(1) 今後のHICAREの研修生の受け入れについての協議
(2) 昨年の研修生(金光惠)の活動内容の聴取
(3) 韓国人被爆者等への医療支援のために,HICAREにホームページにどのような情報を発信してほしいかについての意見聴取
等でした。
 
 まず,今後のHICAREの研修生の受け入れについては,来年度も引き続き研修生の派遣の意向を確認しました。また,昨年度の研修生金光惠さんが日本での真心のこもった看護の姿勢に感動し,現在の入所者の看護に役立てておられるとのお話を聞き,あらためてHICAREの役割の重要性を再認識しました。
 さらに,HICAREのホームページでどのような情報を発信してほしいかについて意見交換を行い,今後も意見・要望があれば提出していただくようお願いしました。
 最後に施設を一回り。大邱から車で約1時間半の山あいにひっそりと建てられた施設。閑静で日当たりがよく,60数人の笑顔がいつまでも我々を見送ってくれました。
 
 車は,一路釜山へ。途中高速道路のサービスエリアで昼食を済ませ,2時過ぎに釜山へ到着です。釜山医療院は,4年前日韓ワールドカップが開催されたサッカースタジアムを前面に眺めることのできる山際の傾斜地に立てられた白亜の建物です。
 玄関前では,今年7月に広島に来られた研修団の副団長であったJung看護部長の笑顔に迎えられました。ここでも,来年度の医師派遣を依頼しましたが,是非派遣したいとの返事を得ることができました。
 
(福本 正裕)

陜川原爆被害者福祉會館 朴貞姫館長(左から2番目),金光惠管理課長(HICARE研修生)(左から2番目)と

11月3日 帰国
 5日間の旅も早くも最終日となり,朝7時40分,釜山観光ホテル発です。
 大邱から旅の後半を受け持ってもらった,釜山在住のガイドさんは,ホテルのバイキング朝食の7時開始に合わせて早めに「ご出勤?」です。私も当日は朝食一番乗りでした。
 
 金海国際空港はホテルから1時間もかからない距離のようですが,ご当地のラッシュアワーに備
えて早めの出発となったわけです。空港には8時30分ごろ到着。新ターナルビルが来年4月オープンとあって,現ビルは400万人の大都市の空の玄関としては貧弱な印象をぬぐえません。
 これからは,10時30分発の福岡行きに桑原先生と福本氏と私,10時40分発の成田行には伊藤先生と児玉先生というように二手に分かれての帰国です。一応待合室で解団式を行いました。各訪問地で日本語に訳した資料を用意していただくなど心のこもった対応や,沢山のみやげ物をいただき団員の心も荷物も皆満杯でした。
 
 私の乗ったアシアナ航空福岡行きは,途中対馬の真上を飛行し,わずか30分のフライトで福岡空港へ到着しました。私にとっては近くて遠い隣国でしたが,初の旅行で「韓国ファン」となる実りある旅となりました。 
 
(片山 拓男)

韓国派遣団一行