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チェルノブイリ原発事故20年会議・REMPAN合同会議にHICARE会長を派遣

ウクライナのキエフ市で開催されたチェルノブイリ原発事故後20年の国際会議に,HICARE会長を派遣しました。

会期:

平成18(2006)年4月24日~28日

派遣者:

土肥 博雄  HICARE会長,広島赤十字・原爆病院院長

開催地:

ウクライナ キエフ

会議での発表風景

所感:

平成18年4月24日~28日チェルノブイリ原発事故後20年の国際会議がキエフで行われました。今回はREMPANとの合同会議であり,私はHICAREの会長として出席しました。
 
20周年記念会議は24日午後3時過ぎからキエフのオペラハウスで開かれましたが,会場の前にグリーンピースが陣取り,それをテレビ局が取材するなど,会場外は騒然とした雰囲気でありました。ユーシェンコ大統領が出席される前後は大変な警備で我々も一々席のチェックを受けたものでした。会議の後半の部では紀伊國献三日本財団使節団代表が日本財団の健診の結果を報告され,WHOの名誉事務総長の中島宏先生が話をされました。最後にIAEAのバロノフ氏がまとめを行い終了しました。
 
翌日,午前中は全体会議で,IAEA事務局次長の谷口さんがしっかりしたまとめを行われ,WHOのラパチョリ氏もRENPANの立場から今後の展望を述べられました。その後,WHOの広報官が,わかりやすく現状の説明をしました。つまり,我々はわかりやすい言葉で,危険であるか,安全かを住民に説明しなければならないのに,出来ていないと話したのが印象的でありました。
 
午後は,四つのセクションに分かれて検討がなされ,第一は人間的,医学的,社会学的な面から,第二はチェルノブイリ,環境そして汚染地区のリハビリ,第三は技術面から見た核の安全性,第四は医学的,生物学的見地から見た放射線事故の結果についてです。私は第一のセッションでの発表者であったので,第一会場に出席しましたが,前半部分ではウクライナのベベシュコさんからの発表があり,その後世界で初めて核の被害を受けたヒロシマの使命や支援の実績について私から報告しましたが,被爆当時のヒロシマの状況にふれたときの会場の厳粛な空気は今もよみがえるようであります。
翌,26日は全体会議でまとめが行われました。
 
一方,REMPAN会議は前日から始まっていましたが,我々が参加したのは26日午後からで,二時半から始まった会は,WHOのニーラさんとベベシュコさんの司会で始まりました。オープニングの最後に,私は広島県の藤田雄山知事のメッセージを読み上げることを許可され,喝采を浴びました。後半はオーストラリアのソロモンさんと放影研の児玉主席研究員の司会で行われました。 
 
REMPANに新しく加盟した団体,国からの報告と現在のメンバーからの報告がありました。会議終了後のパーティの始まりとともに,私に与えられた全ての行事が終了し,翌日,大きな成果を携えキエフから帰国の途につきました。

(財)放射線影響研究所 大久保理事長(右から3番目)
同 児玉主席研究員(右端),
同 片山情報技術部長(左から2番目),
広島大学原爆放射線医科学研究所 神谷教授(右から2番目)と
(両研究所はHICARE支援機関)